「敵艦見ユ」

日露戦争

ホームページのテーマからちょっと脱線します。しかし、話題は日露戦争の日本海海戦にまつわることです。山本五十六元帥も仕官候補生として日進に乗船、名誉の負傷をした海戦ですので、まったく関係ないわけではありません。

ゲゲゲの鬼太郎

私はゲゲゲの鬼太郎ファンです。先日偶然、ゲゲゲの鬼太郎の作者水木しげる氏の著書「(娘に語る)お父さんの戦記」(河出書房新社 昭和57年)を図書館で見つけ読んでみました。そこには、水木しげる氏が、太平洋戦争の時、徴兵されて南方に送られる際に乗船した古い船のことが紹介されていました。以下、ちょっと引用します。

港には古い船がまっていた。船に乗って舷側をいじると、1センチくらいの鉄板が、センベイのようにポロリととれた。びっくりして船員に聞いてみると、
「兵隊さん、この船は浮かんでいるのが奇蹟なんだから、なにしろ、あの明治38年の日本海海戦の時、まっさきにロシア艦隊を発見し、”敵艦ミユ”の無電を発した信濃丸てえのは、この船なんだから。」

「敵艦見ユ」なら昭和生まれの私でも知っています。本当に驚きました。日本海海戦は太平洋戦争の約40年前の出来事ですから。そこで、「日露戦争」(古屋哲夫著 中公新書 昭和41年)を参考にして信濃丸の活躍を紹介します。

仮装巡洋艦信濃丸の活躍

アジアでの利権の対立から、明治37年に日本とロシアは戦争に突入しました。日露戦争です。ロシアは制海権を握って日本の海上補給路を分断するため、ロジェストウェンスキー提督率いる強力なバルチック艦隊を欧州から極東に派遣しました。この艦隊がウラジオストックに入港したら、我軍の補給路に重大な脅威となります。したがって、バルチック艦隊を迎撃殲滅することは、日露戦争勝利の決戦と言えました。

当時は軍事衛星もレーダーも偵察機もない時代です。敵艦隊を捕捉できずに討ちもらし、ウラジオ港に入港されては大変です。バルチック艦隊索敵は重要な任務だったのです。

明治38年5月27日のことです。以下、「日露戦争」(古屋哲夫著 中公新書 昭和41年)から引用します。

27日午前2時45分、五島列島西方海上を哨戒中の仮装巡洋艦信濃丸は、闇の中に灯火が動いているのを見つけた。近づいてみると後方に白、紅、白の三灯をつけた汽船であった。約2時間の追跡のすえ、4時半すぎ、バルチック艦隊の病院船であることを確認し、いよいよ停止させて臨検しようとした。しかしこのとき、1500mほどの距離に敵艦十数隻がおり、そのむこうにも煤煙が数条たなびいているのを確認した。信濃丸はいつの間にかバルチック艦隊の中に入りこんだのだった。急いで舵を転じて敵艦との距離をとり、「敵艦隊203地点に見ゆ、敵は東水道に向かうものの如し」と打電した。午前4時45分のことであり、これがバルチック艦隊発見の第1報であった。

日本海海戦

この後、旗艦三笠に乗る連合艦隊司令長官東郷平八郎提督率いる我らが連合艦隊は、午後1時40分にバルチック艦隊を発見、55分にZ旗をかかげ、「皇国の興廃此の一戦にあり、各員奮励努力せよ。」と日本海海戦が火蓋を切ったのでした。そして、東郷平八郎提督は有名な「東郷ターン」を行い、ロジェストウェンスキー提督率いるバルチック艦隊を完全に捕捉殲滅しました。

以上、「敵艦見ユ」の仮装巡洋艦信濃丸の話題でした。水木しげる氏を南方に送った後、信濃丸がどうなったか不明です。調べてわかりましたら、また、紹介します。


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