戦前に魚雷と機雷の置いてあった長岡高校を紹介します。米百俵ゆかりの母校です。 私は残念ながら模範的な長岡高校の学生ではありませんでした。また、同窓会にもぜんぜん出席しないし寄付金や同窓会費も払わず、OBになっても模範的ではないようです。 したがって、我校の歴史や伝統を語る知識も資格もありません。簡単に紹介するにとどめます。
開校は明治5年の冬の頃です。当初は洋学校と呼ばれました。(校歌の歌詞にそのようなフレーズがありました。) その後、旧制長岡中学となり、戦後の学制改革(昭和22年)により新制高校になりました。 このサイトの主人公山本五十六元帥は、旧制長岡中学のOBです。つまり、私の大先輩になるわけです。 明治から昭和初期にかけて、経済人や政治家、学者等、立派なOBが輩出しました。列挙するとそれだけでホームページが一つできるくらいです。(しかし、残念ながら私自身は平凡なOBですが…)
また、伝統ある高校の常として、校風は「質実剛健」とか「剛健質朴」という熟語が似合いそうですが、私を含めて当てはまる友人はほとんどいませんでした。
それはさておき、魚雷と機雷の置いてあった長岡高校正門付近の写真を紹介します。
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長岡高校正門です。この右手に魚雷と機雷が置いてありました。 ちょっと分りにくいかもしれませんが、レンガの門は旧制長岡中学の頃からのものです。米百俵ゆかりの母校らしく、歴史を感じさせます。
写真2は長岡高校正門付近です。大きな木立が歴史を物語っています。 しかし、以前はこれより大きな木が立ち並び、もっと鬱蒼としていたそうです。
写真3も長岡高校正門付近です。何を記念する石碑でしょうか?
長岡高校のOB、堀口大学の碑です。今回、母校を訪れて初めてこれに気づきました。在校時からあったのだと思いますが。 この碑の向こうのプレハブの建物が雰囲気を壊していますね。 私を案内して下さった同窓会担当の先生のお話では、このプレハブの辺りに魚雷と機雷が置いてあったそうです。
こんなものも発見しました。日本海海戦でバルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥お手植えの木です。東郷平八郎元帥は長岡の出身ではありません。たしか、薩摩だと思います。
東郷平八郎元帥のお手植えの木の正面にこんな碑がありました。 明治39年7月22日の日付があります。日本海海戦は明治38年ですから、その翌年に旧制長岡中学を訪れたことになります。
このような所に敗戦まで魚雷と機雷が置いてありました。
ところで、この年になって母校を訪れてみると、母校が静かで落ち着いたすばらしい雰囲気なのに驚きました。在校中は、何も感じませんでしたが、やはり、歳のせいでしょうか。