新潟県長岡市悠久山公園は、長岡市東部の小さな丘陵にあります。ここは、長岡市民からは「お山」と呼ばれており、春の花見をはじめ、小学生の遠足等、長岡市民の憩いの場所として親しまれています。 蒼柴神社はこの悠久山にあります。江戸時代の長岡藩に所縁のある由緒正しい神社です。
今回、取材の為に訪れたのは平成13年8月14日です。暑い夏の盛りでしたが、欝蒼とした神社の森は強い日差しをさえぎってくれました。 神社の風景を紹介します。
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蒼柴神社には長い参道があります。ここは桜並木となっており、花見の時期はとても美しいです。今回は、神社脇の駐車場の方から訪れました。入り口にはこのような石の碑があります。
本来の参道を歩いて訪れると最後にこの門に到ります。ここをくぐると蒼柴神社本社です。 真夏の昼間にもかかわらず、ご覧のように涼しい木陰になっています。
写真は蒼柴神社本社裏手の、以前、魚雷と機雷が置いてあった場所です。 写真では分かりにくいかもしれませんが、左手に細長く魚雷の置いてあった跡があります。直接地面に置いていたのではありませんので、前後に台座の跡があります。その間の苔のない茶色い地面が魚雷の跡です。 機雷の置いてあったのは写真中央だと思います。
招魂社は、戊辰戦争で戦死した長岡藩士309名と、西南の役で戦死した十数名が祭られている所です。 戊辰戦争に従軍した長岡藩士の数はどのくらいか分かりませんが、、七万四千石の藩としてはたぶん1000名程度ではないでしょうか。とすると、戦死者の割合はかなり高いと思います。米百俵の故事は、この激戦の後のことです。
明治時代になって西南戦争が起こると、旧会津藩等戊辰戦争で敗れた東北の元武士が政府軍として参戦したそうです。なかには、戊辰戦争の怨みを返そうという動機で参戦した人もいるそうです。長岡からも従軍した人がいました。その時の戦死者もここに合わせて祭られています。 墓石は全部で42基あります。ひとつのお墓に数人ずつのお名前が刻まれていました。
私が訪れたのはお盆の時期でしたので、いくつかの墓石には花が奉げられていました。
この敷地内に魚雷と機雷が置いてあります。
魚雷と機雷のある悠久山蒼柴神社はこんな所です。悠久山自体は大きな公園になっており、春の花見は見事です。公園内の他の施設として郷土資料館があります。ここも一度訪れて下さい。